山田裕貴の父・山田和利は広島・中日の元プロ野球選手・コーチ。息子を挫折から救った名言とは?

ドラマや映画に引っ張りだこの俳優・山田裕貴さん。
その整った顔立ちと演技で多くの女性たちを魅了しています。

そんな山田裕貴さんの父親は元プロ野球選手の山田和利(やまだ かずとし)さんです。

今回の記事は山田裕貴さんの父・和利さんについてフォーカスを当てて詳しく調査してみました。

是非読んでいってください!

山田裕貴の父・山田和利のプロフィール・経歴

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山田裕貴さんの父・山田和利(やまだかずとし)さんは元プロ野球選手・コーチです。

1983年~1996年の12年間を現役選手として、中日ドラゴンズや広島カープで活躍されていました。

そして、現役選手を引退した後、翌年の1997年~2021年の24年間はコーチとして務められました

選手として活躍した期間よりも、コーチとして活躍された期間の方が長いですので、どちらかと言えば、コーチとして有名と言ってもいいでしょうね。

それでは、山田和利さんの経歴について、細かく見ていきたいと思います。

1983年:ドラフト4位指名を受け、中日ドラゴンズに入団

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山田和利さんは1983年に愛知県名古屋の東邦高校から、ドラフト4位指名を受け、中日ドラゴンズに入団することになりました。

しかし、プロ入りしたとは言え、レギュラーとして定着することがなかったようですね。

それほどスター選手と言ったほどではなかったようですが、当時のチームメイトだった立浪和義選手の控えとして、主にショートのポジションとして起用されることが多かったのですね。

後に移籍する広島カープとの試合において、プロ担って初めてのサヨナラホームランを打つ、といった活躍もされたんですよね。

1991年:広島カープへ移籍

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中日ドラゴンズで7年間活躍された山田和利さんですが、1991年には長嶋清幸選手とのトレードで広島カープに移籍することになりました。

そこから5年間、広島カープの選手として活躍されました。

ドラゴンズでは試合にそれほど出場できなかったのですが、広島カープへの移籍後は出場数も多くなったんですよね。

特に、ファーストのポジションとして定位置を獲得できたことは大きく、レギュラー出場が増えることになったのです。

ファーストだけでなく、外野手も兼ねていたようで、キャリアハイの活躍でチームの2位躍進に貢献することにもりました。

そして、1996年に中日で星野仙一さんが監督に復帰すると、若林隆信選手とのトレードで再び中日ドラゴンズへ復帰することになります。

広島カープでの活躍もあったので、7番の背番号も与えられ、大きく期待されていたのですが、故障してしまった事によって、それ以降は一軍での出場は出来なくなり、31歳で現役を引退、という形になってしまったのですね。

プロ野球選手の寿命は30歳くらいと一般的に言われていますので、31歳まで現役として活躍できた山田和利さんは悪く言えば、平均レベルの選手だったといえるのかもしれませんね。

私達が普段目にしているプロ野球選手は本当にスター中のスター選手ばかりですので、いかにこの世界が激しい競争なのかが伝わってきますよね。

そんな、山田和利さんの通算成績を簡単に一覧にしてみますと、

  • 出場366試合
  • 打率262
  • 打点102
  • 出塁率341

となります。

これが現役選手としての12年間だったいうわけですね。

現役引退後は中日ドラゴンズ・広島カープのコーチに就任

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31歳で中日ドラゴンズに移籍した山田和利さんですが、故障のために現役を引退した後は、そのまま中日に残ることになり、二軍打撃、一軍内野守備・走塁、一軍打撃といった、さまざまなポジションのコーチを務めることになりました

その後も野球界に残り続け、2011年には広島カープのコーチに、そして翌年は広島のフロントに入り球団編成を担当することになりました。

そして、2015年からは再び、広島カープのコーチとして現役復帰を果たします。

それからは、広島の名コーチとして2021年まで務められました。

コーチ歴は24年間ですので、現役プレイヤーとして活躍していた12年間と比べて、2倍の長さになりますから、

「山田和利と言えば広島のコーチだね」

と言った感じで、コーチとしての知名度のほうが高いのもうなずけますね。

2022年以降は野球界を完全に引退したのか?

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山田和利さんは2021年に広島カープのコーチを引退することになりました。

現役選手として12年間、コーチとして24年間。

36年といった長い野球人生でしたが、現在は何をされているのでしょうか?

引退後の動向について調べてみたのですが、残念ながら、現在どうされているのかは不明です。

2023年時点で57歳の山田和利ですが、今の時代は57歳で隠居というのはまだ若すぎるとおもいますので、出身校である東邦高校など、高校野球や少年野球に携わっていう可能性は十分にありますよね。

今後、はっきりとした動向が判明しましたら、追記していこうと思います。

山田裕貴も父・山田和利に憧れてプロ野球選手を目指していた

出典:スポニチ

山田裕貴さんは現在は、俳優として活躍されていますが、実はプロ野球選手を目指していた過去があるんですよね。

それもそのはず、山田裕貴さんの父・和利さんのプロ野球選手としての活躍は子供の頃からずっと見てきていますからね。

そのことについては、TBS番組「日曜日の初耳学」に出演された際に、語られていました。

「テレビに映るのがかっこいい!」と父親の姿に釘付けになっていた山田裕貴さんは憧れの父・和利さんに近づくために、小学3年生から野球を始めます。

しかし、中学で入部した名門チームでは、レギュラーを獲得することは出来なかったんですよね。

そのため、悔しさから毎日お風呂で泣いていた、とのことですね。

人生で初めての大きな挫折を経験することになったんですね。

そして、中学で野球への夢を諦めることになりました。

とはいえ、野球の実力は現在も健在のようで、インスタグラムにも豪速球を投げる姿が投稿されていました。

中学卒業後に進学した高校は皮肉にも、父の母校でもある東邦高校なんですね。

挫折してしまったにもかかわらず、なぜ父と同じ高校に行こうかと思ったのかと言いますと、

「父と同じ高校に行くことでちょっとでも近づいたって思いこむ」

ためだったとのことです。

高3の時に野球部は甲子園に出場することになったのですが、中学時代のチームメートが4番でスタメン出場していたため、応援するためスタンドに行った時、

「俺は人生を諦めた人だ。諦めたからここに座っているんだ」

と思い、試合前にもかかわらず涙が止まらなくなったそうですね。

大きな挫折を経験し、長い間やさぐれていた山田裕貴さんなのですが、父の和利さんから言われた

「自分で決めたことは最後までやり続けろ」

という言葉を思い出すことになりました。

その強い言葉はずっと山田裕貴さんの心の中に残っていたようで、

「ここで俺は一回死んだんだ、父を追っていた人生は一回死んだ。次やるって決めたことは最後までやり続けようと思った」

と挫折を乗り越えるきっかけにもなったんですよね。

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同様のエピソードについては、2021年に出演した「A-Studio+」でも語られていました。

山田裕貴さんが俳優を選んだ理由についてですが、寡黙で厳しかった父・和利さんとは少年時代にはあまり会話することも出来ずキャッチボールすらしたことがなかったため、唯一できる会話が映画かドラマかゲームだったので、それを父に見てほしかった、という強い思いから来ているのですよね。

その強い思いから、ドラマや映画の世界に飛び込もうと思ったのが俳優を志そうと思った大きなきっかけでもあるんですよね。

良いお父さんですよね。

山田裕貴の始球式では父と同じ背番号「30」

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山田裕貴さんは2018年8月10日、父・和利さんが所属していた中日ドラゴンズのユニフォームを着て、始球式を務めるとになりました。

しかも、父と同じ背番号である「30」という数字を抱えていました。

父に憧れて始めた野球ですが、中学で大きな挫折を味わい、一度は目を背けてしまいました。

しかし、父の言葉を思い出して、挫折を乗り越えた先に、憧れの父と同じ番号を背負ってこうしてマウンドに立つことが出来たのですね。

そして、本番のピッチングでは見事、ノーバウンドでど真ん中のストレートを披露されました!

投球後のコメントでは、

「小さい頃から野球選手の息子だと言われてやってきて、そのプレッシャーがありました。リトルリーグの時にナゴヤドームを歩かせてもらい、(中学卒業で)野球を諦めて、俳優でやっていくと決めたときから、ここで始球式をやるのが夢でした」

と涙混じりに語る姿は印象的でしたね。

山田裕貴の父・山田和利に対する世間の声

山田裕貴さんの父・山田和利さんに対する世間の声はどのようなものでしょうか?

いくつか拾ってみました。

出典:twitter

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出典:twitter

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「山田裕貴の父」としては有名みたいですが、プロ野球選手としては、どちらかと言えば無名な方だった、との印象を受けましたね。

やはり、プロ野球選手と言えど、スタープレイヤーと言えるレベルの選手でないと、それほど有名にはならないのだなあ、と思いました。

とはいえ、今の山田裕貴さんを活躍を生み出すきっかけになったのは間違いなく父・和利さんの力が大きいのは間違いありませんね!

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